ピィィ…ピィィ…ピィィィィィ……
 絶え間なく頭に響き続ける音。そして漠然と感じる人の気配のようなモノ。今このカッパ渕で一体何が起きているのか、それは私には理解出来なかった。
「この感覚、似ているな……。一年半前の”あの日”と……」
「あの日と言いますと、兄上様が”あの力”を譲られたという……」
「ええ。わたしにとっても忘れられないあの日と……。でもこれはもっと微弱で、そしてもっと純粋な……」
「?? みんなどうしたの、怖い顔して…?」
 祐一と真琴嬢は昔同じ体験したことがあるようで、音に対応するかの様に瞬時に臨戦体制を取った。その二人の反応に呼応するかのように美凪嬢も構えを取り、ただ一人佳乃嬢だけが、ただ呆然と他の者達のただならぬ雰囲気を不思議がっていた。
「往人さんっ、避けて!」
「!!」
 ヒュン、パササ……
 真琴嬢の声に私は咄嗟に後方に仰け反った。そのモノは私の仰け反った先を通り、頭の先にある枝の葉を鋭い風の刃で切り付けた。
「やれやれ。一年半振りだ、果たして前のようにいくかな……。しかしあゆがいれば正体が掴めたかも知れないのにな……」
 ピイイ……
 祐一が不安そうな言葉と意味深な言葉を吐いた。刹那、力を発動させる音を感じた。
「往人さん、恐らく”こいつ”は”力”に反応している。いくら力を持っているとはいえ、今の貴方に見えない相手との戦いは荷が重い! ここは私が引き付けるから、今の内に逃げるんだ!!」
「”こいつ”!? それは一体何なのだ……?」
「一般的な言葉で言えば霊に値するものです。そしてその正体はヒトの強力な想いの塊! しかもこいつはその中でも最も厄介な負の想いの塊だ!」
 幽霊! その名を聞くのは初めてではない。ヒトの強力な想いの塊、それが霊の正体なのか?
 そして真琴嬢と祐一の反応から察するに、私はその正体を五感ではなく、この力によって感じているのか……?


第拾話「日輪を遮るモノ」

ピイイイイイ……
「ちいっ! 目で見えないとあっては法術での援護も叶わんか!」
 執拗に向かってくる想いの塊から私は逃れようとする。しかし、見えない物体からいつ攻撃を食らうかという体験したことのない状況に、私の身体は少なからず緊張していた。
 相手の存在は感知出来る、しかし現時点での私には存在のみの認識が精一杯であり、それがどのように動くかまでは感知出来なかった。
 ピシャーッ!
「くっ……」
「祐一殿!」
 想いの塊が何かを切り裂いた音が聞えた。想いの塊が切り裂いたもの、それはすんでの所で私を庇った祐一の腕先であった。
「これしきのことで! はあああ〜〜っ! 波紋疾走オーバードライブ!!」
 祐一の傷口はまるで鋭利な刃物に切り裂かれたかのようで、その傷口からは勢いよく血が流れ出していた。だが、祐一は傷で冷静さを失うことなく、想いの塊に何かしらの攻撃を加えた。
「真琴、そっちに向かったぞ!」
 祐一に攻撃された想いの塊は、それに驚いたかのように祐一の元を離れ、駆け足で逃げる真琴嬢の方へと向かって行ったようだ。
(クッ、せめて動き程度は認識出来るようにせねばな……)
 法術での援護が叶わないならばせめて想いの塊をより認識出来るようになりたい。精神を集中させれば私にも想いの塊を感知出来るかもしれない。そう思い私は冷静に気持ちを落ち着かせ精神を集中させた。
(むっ! この感じっ……!?)  すると、何となくだが想いの塊の動きを察知出来るようになった。
「きゃあ〜!」
「佳乃嬢!」
 想いの塊は音速とも言える速さで真琴嬢の方に向かって行った。それを真琴嬢と美凪嬢は辛うじて避けたものの、状況を理解出来ずに真琴嬢等と逃げていた佳乃嬢にはその攻撃を避けることすら出来ず、滑り落ちるかの様に地面へと倒れ込んだ。
 そしてその瞬間、何故か想いの塊の気配が消えた。
「真琴、佳乃ちゃんの様子はどうだ!?」
 いきなり気配を感じなくなったことが気にはなったが、今はとにかく倒れた佳乃嬢の容態が気になる。そう思い、私は祐一と共に駆け足で佳乃嬢の元へと向かった。
「頭を強くぶつけて気を失っているけど、命に別状はないわ。でも急いで自宅へ運んだ方がいいわね」
「分かった。じゃあ私の車で佳乃ちゃんの家へ運んで行く。真琴、ナビ頼んだぞ」
「待って。私はこのことを聖さんに伝えに行くわ。ナビは、往人さんはこの辺りにはあんまり詳しくないだろうし、美凪さんに任せるわ」
「分かりました……。では兄上様、急ぎましょう!」
 気を失った佳乃嬢を祐一が抱え出し、霧島家運ぶ為に車に向かって行った。私自身は女史への報告は真琴嬢一人で十分だと思い、祐一に同行することにした。



 車で5、6分、倒れた佳乃嬢を乗せた車は無事霧島家に着いた。後方の座席に座っていた私は、その横に寝かせておいた佳乃嬢を抱えて車から出た。
「あうーっ!」
 祐一が真琴嬢から渡された鍵で玄関の扉を開け、まず佳乃嬢を抱えた私が家の中に入った。すると周囲の不穏な空気を感じ取ったのか、ロコンが駆け足で玄関の方に走って来た。
「お前も心配なのだな。案ずるな、気を失っているだけで命に別状はない」
 私の足にまとわり付き必死の鳴き声で佳乃嬢に呼びかけているロコンに、私は話し掛けた。
「あうー」
 すると、私の言葉を理解したのか、ロコンは落ち着きを取り戻し佳乃嬢の部屋の方に走って行った。
「しかし寝かせる為とはいえ、少女の部屋に無断で入るのは気が引けるな。遠野嬢、すまんがここから先は遠野嬢が運んでくれぬか?」
「ええ、分かりました。では……」
 私の肩に寄り掛かっていた佳乃嬢を己の肩に移し、美凪嬢はロコンの足を辿り佳乃嬢の部屋の方へ向かっていた。
「しかし祐一殿、あの腕の怪我でよく運転が……。!?」
 腕に傷を負った状態でよく運転が出来たものだと感心し、私は祐一の方に視線を向けた。すると驚いたことに、数分前血が流れ出ていた箇所は出血が止まっているどころか、傷跡さえ既に完治していた。
「どうやら驚きのご様子で。まあ、大したことないですよ。自分の再生能力を強めただけですから」
 自分の再生能力を高めた、そんな人知を超越した行為を祐一は平然とした口調で喋った。さもそれが力を持っている者には出来て当然の行為のように。
「再生能力を高めたか……。どうやら貴殿は私の力を凌駕した力を持っているようだな」
「いえ、それはまったく逆ですよ。私の力など貴方の足元にも及びませんよ」
「……?」
 物を動かすことしか出来ない私の力より、祐一の再生能力の方がより強い力であると私は思ったが、祐一はまったくの逆であるという。それは謙遜なのか、それとも……。
「いいですか。そもそも人間の身体はある程度の再生能力を秘めているものです。かすり傷程度なら4、5日もあれば自然と治るもの。私は自分の力でその細胞の再生能力に刺激を与え、その再生スピードを早めただけですよ」
「再生スピードを早める……。私には十分凄い能力に見えるが、どうしてそれが私の能力より劣ると貴殿は言うのだ」
「簡単なことですよ。私の傷の再生スピードを早めるのは、元来人間が持っている力を強める行為に過ぎない。だけど貴方の法術は本来動く力を備えていないものを動かす行為……。
 元の力を強める行為と本来ない力を与える行為、どちらがより強い力かと聞けば一目瞭然でしょう」
 その言葉を聞き、私は今まで大きな勘違いをしていたことに気付いた。私は今まで自分の法術は真琴嬢や祐一の力には及ばないものと思っていた。しかしそれは祐一の言う通り、まったくの逆だったのだ。
 思えば今の祐一の行為も、真琴嬢の岩を砕く行為も、人間が本来持ち合わせている力を強めているに過ぎない。対して私の法術は石やプラモデルなど本来動くことの出来ない物を動かしているのだ。そう考えれば、確かに私の力の方がより強い力であると言えるかもしれない。
「だが、あのカッパ淵での行為は? あれはどう見ても法術と同じ力にしか見えんが」
「まあ基本的な原理は同じものなんです。ただ、あのミニ四駆は人形とは違い、スイッチを入れば勝手に動く物です。つまり私の行為は、動く物体を辛うじて自分の意思に従い動かしているに過ぎないということですよ。あとは物体を動かす元となるエネルギーを単純に放出するくらいですね」
「エネルギーの放出?」
「ええ。あのカッパ渕で『オーバードライブ』って叫んだでしょ。あれのことですよ。もっとも、技の名前自体は『ジョジョの奇妙な冒険』って漫画の”波紋”って力を放出する時のを借りていますけどね」
 あの時想いの塊に何かしらの攻撃を加えたと思ったが、そういう行為だったのか。しかし物を動かすのに用いる力を単純に放出するだけとはなかなか考えたものである。超能力的な概念に気功というものがあるが、それも祐一の行為と同じような原理なのだろう。
「そして今の私には単純に放出したり、元々動く物を動かすことくらいしか出来ない。まだ貴方のように本来動く物体を動かせるまで力を使いこなしていない。
 いや、使いこなせない、、、、、、、んですよ」
「使いこなせない? それは何故だ」
「貴方が法術と言っている力は、ある血筋の者でなければならない。私はその血統とあまりに離れているから、先天的に私には力を使うのは限界があるのですよ」
 法術を使いこなすにはある血筋の者でなければならない。それは一体どんな血統なのか。そして祐一より力を使える私はその血筋の者なのか?
「兄上様に鬼柳さん……、佳乃ちゃんが目覚めました」
 佳乃嬢の部屋の前で会話をしていた私達の前に、美凪嬢が佳乃嬢の意識が回復した旨を伝えに来た。
「そうか、意識を取り戻したか」
 佳乃嬢が意識を取り戻したことに私は安堵した。しかし倒れてから十分も満たない時間で目覚めた所見ると、佳乃嬢は軽く頭を打った程度の症状だったのだろう。
「それで二人に助けてもらったお礼がしたいから部屋の中へ入って来てとのことです……」
「そうか。では言葉に甘えて部屋の中へ入るか祐一殿」
「ええ。それと私のことは呼び捨てで結構ですよ。どうも年上に『殿』と呼ばれるのは余計に緊張する気がするもんで」
「むっ、そうか。ではこれからは遠慮なく祐一と呼ばせてもらうぞ」
「ええ。遠慮なく」
 会って間もない仲なので多少改まった呼び方をしていたが、別に祐一を呼び捨てにするのに違和感はない。
 それにしても、心置きなく呼び捨てに出来る人間は、この祐一が初めてである。何の抵抗もなく”友”と認識出来る人間、それが私にとっての祐一という人間なのだろう。



「もう大丈夫だよ。色々迷惑かけてごめんね、往人さんに祐一さん」
 佳乃嬢の部屋に入り開口一番彼女が口にした言葉は、私達に対する謝罪の言葉だった。
「別に謝る必要はない。とにかく無事で何よりだ。しかしこの部屋……」
 ふと佳乃嬢の部屋の中を見渡すと、辺りはまるで男女の兄弟の相部屋のようにロボットと珍妙な怪物のぬいぐるみで埋め尽されていた。
「ガンプラにポケモンのぬいぐるみか。結構変わった趣向の飾り付けだね」
 祐一の説明によると、どうやらロボットの方はサザビーと同種類の物で、珍妙な怪物のぬいぐるみはポケモンというらしい。しかしぬいぐるみはともかく、確かにプラモデルが飾られているのは少女の部屋にしては変わっていると私も思う。
「あら、仮にガンプラを『燃えグッズ』、ポケモンのぬいぐるみを『萌えグッズ』としましたなら……、その二つが両立しているのは別段珍しいことではないのでは?」
「うっ、言われてみれば確かに……。私の部屋にもガンプラと葉グッズが両立して飾ってあるしなぁ」
 美凪嬢の意見に、祐一は喉元を突かれたかのように頷いた。しかし私には祐一が何故頷いたのか理解出来なかった。それは「もえグッズ」という例えがイマイチ把握出来ず、ガンプラもポケモンのぬいぐるみも同じ「もえグッズ」で例えているから、どちらもまったく同質な物であるという意味にしか私には解釈出来なかったからである。
「佳乃、無事か!」
 美凪嬢の論を頭の中で整理していると、女史が息を荒くしながら佳乃嬢の部屋に駆け付けた。
「うん、もう大丈夫だよお姉ちゃん」
「そうか……。倒れたと聞いた時には思わず気が動転してしまったが、無事で何よりだ……」
 緊迫した女史の顔はにっこりと微笑む佳乃嬢の笑顔で自然と和らいだ。しかしあんなに張り詰めた女史の顔を見るのは初めてである。やはり身内に何か起こるというのは人の平常心をかき乱すものなのだろう。
「だが念の為今日は家でじっとしているのだぞ」
「うん」
「時に女史、博物館の方はどうしたのだ?」
「ああ。状況が状況だからな。相沢君に任せておいた」
 どうやら女史が駆け付いだ代わりに、真琴嬢が務めているようだ。成程、女史が駆け付けるとしても博物館の運営を放り投げるにはいかない。その辺りを見越して真琴嬢は女史にことを告げに行ったのだろう。ああ見えて真琴嬢もなかなか抜け目がないものだ。
「おじゃましま〜す」
「ん? 誰か来たみたいだが……」
 突然玄関の方から声が聞えて来た。声質からして恐らく女性であろう。
「ああ、そう言えば月宮さんの娘も同行していたのだったな。佳乃を心配するあまりすっかり忘れていたな。中まで入って来ていいぞ、あゆ君」
「はい。ではお言葉に甘えまして……」
(さて、一体どんな女性か……)
 玄関の先から上がってくる人物が気になり、私は部屋に留まらずに廊下の方へ出た。
「……」
 廊下を歩いて私の方へ近付いて来る女性に、私は一瞬魅入った。155cm前後の身長、腰の下まで延びた長い髪の女性、いやまだ少女といえる年齢だろう。  そして少女の雰囲気はどこか懐かしい感じがする。そう、既にない母親の雰囲気を何処となく感じさせる……。
「えっと、あなたが往人さん?」
「あ、ああそうだが」
 恐らくここに来る間女史に私の名前でも聞いたのだろう。見ず知らずの女性にいきなり名前を言われ一瞬途惑ったが、すぐに落ち着きを取り戻し、私は頷いた。
「うん、やっぱりあなたであってるんだね。初めまして、私は月宮あゆだよ」
 ギギャィィィ〜〜!!
「わっ!」
 少女が自分の名を語りお辞儀をした瞬間、あのミニ四駆が突然少女の元へ走り、あゆ嬢は見事転んでしまった。
「まったく、初対面の人に会って語尾に『だよ』はないだろ……。18にもなって恥ずかしい……。まあ、自称を『私』としたからまだマシだけど」
「うぐぅ〜、酷いよ祐一君……」
「その口癖は相変わらずだな。どうせやるならDIO様張りに『UGUUUUUUU』とでも言ってみろ」
「うぐぅ……」
「フフッ」
 祐一とあゆ嬢の会話を聞いて私は思わず微笑してしまった。見た目の雰囲気に騙されていたが、今の一連のあゆ嬢の驚き方は少女というよりは童女である。今では何故母親という感じを抱いたのだろうかと思う程だ。
 しかしあゆ嬢に対する祐一の態度は真琴嬢のものと似ている。そう、親しい女性に対する態度の取り方である。そういえばカッパ渕で真琴嬢が「あゆ姉様」と言っていた気がする。ということは、祐一とあゆ嬢は友達とか恋人の関係なのだろう。
「時に女史、貴方とあゆ嬢の関係はどういった関係なのだ?」
 気を取り直し私は女史にあゆ嬢との関係を訊いた。先程の話からあゆ嬢の母親とも知人であるようだが、その辺りの関係をもう少し訊いてみたいものだ。
「まあ、私との直接な関係はない。父が研究調査の過程で彼女の母親と知り合ったという感じだ」
「研究調査の過程?」
「ああ。さっきまではそのことに関して話をしていた。話の途中で佳乃の急報が入って来たのだが、佳乃の方も無事であるし、これから続きの話でもしようかと思っていた所だ」
「ほう、興味があるな。女史の父がどのような研究をしていたか」
 この間女史が父親の研究の軌跡を追っていると言っていたが、あの時どのような研究をしていたか気になったものだ。もしかしたらこれからの私の旅の参考になるかもしれないと思い、私もその話に加わることにした。



「では、まず私の父がどのような研究をしていたか話すとしよう」
 私が話に加わることを女史は快く引き入れ、また祐一と美凪嬢も加わることとなった。このメンバーだと父親の研究内容から話す必要があるだろうとの女史の見解から、まずは女史の父親がどのような研究をしているかから話が始まった。
「私の父の研究は主に、戦後では創作というのが一般的になった神話の事実を追い求めることだった。そして父が消息を絶つ前に追い求めていたのが、月讀命つくよみのみことの痕跡だった」
「月讀命? あの神で夜の支配を任されたという」
「ああそうだ。『古事記』や『日本書紀』の所謂”神代”の、天照あまてらす須佐之男すさのをと同じく伊耶那岐いざなぎの身体から出たと伝えられる神だ。ところで君達は月讀命についてはどの程度知っている?」
 そう女史に聞かれて私は口篭もってしまった。天岩戸やヤマタノオロチなど、天照と須佐之男に関する説話はよく聞く。しかし伊耶那岐から生まれた三貴士の一人であり名前なら多くの日本人が知っているであろう月讀命に関する説話は、何故か聞いたことがなかった。
「確か『日本書紀』に月讀命が保食神うけもちのかみを殺したことにより……、その死体から牛馬、栗、蚕、稗、稲、麦、大小豆が発生し、それにより農耕養蚕が始まったという説話があったと思います」
 私が口篭もっている間、美凪嬢が淡々と喋った。正直私は『日本書紀』は読んだことがないのでその説話は初めて聞く。しかし相変わらず美凪嬢は博識であると感心する。
「ただ……、それ以外の説話は誕生と統治する世界に関しての話位しか聞いたことがないですね」
「そう。遠野君の言う通り、月讀命に関する記述は農耕養蚕の創生に関する説話と、誕生と統治する世界に関しての記述しかない。伊耶那岐から生まれた他の二人に関しては多くの説話が残っているのに対し、月讀命に関する説話は著しく少ない。私の父はそこに目を付けたのだ」
 有名な神であるのに記述が少ない。仮に『古事記』と『日本書紀』がまったくの創作であったとしても、月讀命に関する記述が少ないのには確かに疑問が残る。
 例えば所謂欠史八代は、神武天皇と崇神天皇との間を埋める為の創作であるという説がある。しかしこれは間を埋める為に架空の人物を記述するという説であり、月讀命にはそれが通用しない。
 何故ならば、伊耶那岐から生まれたというのが必ず三人でなければならないというのならば別だが、例えば太陽と対を成すものとして月が必要ならば、それは須佐之男でもいいのだし、月讀命でなくともよい。須佐之男を月の象徴、夜を支配する者とすれば良いだけだ。
 なのに、須佐之男は嵐の神であるとし、天照の対となっているのは月讀命である。対になっている神であるならそれなりに重要性があっても良い筈なのだが、ともかく疑問が尽きない。
「そして父は月讀命の存在に関し、いくつかの説を立てた。その仮説の一つが『倭國分割統治説』。嘗てこの国は伊耶那岐によって統治されていたが、その後天照、月讀、須佐之男の三人に分割統治させたという説だ」
「分割統治……? 詳しく訊かせてもらえぬか」
「ああ。父の説はこうだった。この国は嘗て、天照は大和を、須佐之男は出雲を、そして月讀はみちのくを統治していたという説だ――」



「……」
 夕方から降り出した雨が未だ止まないその日の晩、私は正午前に女史から聞いた話を思い起こしていた。
「この説を唱える根拠の一つが『古事記』、『日本書紀』が大和朝廷の正当性を示す為の書物であるという説だ。古来において王朝の正当性を示す為に書物が書かれるのは、別段珍しいことではない。
 例えば支邦においては古来から王朝が変わる度に、その王朝が歴史上正しい王朝であると書物が書き直された。同じように『古事記』、『日本書紀』もまた、大和朝廷、つまりは天照を皇孫とした天皇家がこの国を支配する正当性を訴える為に書かれたものだと」
「成程。しかし天皇家の支配の正当性と月讀命の記述が少ないことに何の関係があるのだ?」
「つまりはこういう事だ。嘗て一つだったこの国は三貴士によって分割統治されたが、後に天照が再び一つに統合しようとした。様々な経緯を経て出雲は併合出来た。しかし、みちのくはそれが叶わなかった。月讀は天照の傘下に組しなかった。支配しようと思ったが支配出来なかったことは正当性を示すに辺り何らかの汚点となる。だから天照を皇孫とする天皇家の正当性を示す書物には詳しく描かれなかったと」
 成程、『古事記』や『日本書紀』が天皇家の正当性を示す為の書物とするなら、女史の話した説は説得性があるように思える。
「また、父はこんな説も唱えていた。太陽は生と永遠を象徴するものであり、月は死と再生を象徴するもの。永遠の象徴である太陽は王朝の永続性の象徴を表わすものとして重宝されたが、月は死を暗示することから永続性を遮るものとされ、忌み嫌われた。
 これは先程の説と違い、忌み嫌う存在だったからこそそれに関する記述を極力避け、敢えて傘下に組しようとはしなかったという説だ」
「ほう。ところでその話とあゆ嬢との接点はいつになったら話すのだ?」
「それはこれからだ。父は月讀命がみちのくを統べる者で、月は死と再生の象徴であるという説を唱えた。そして父はその名残は青森南部から岩手北部のイタコにあると唱えた」
 イタコ。名前は聞いたことがある。確か口寄せで霊を招き入れ、自分の体に憑依させ霊の言葉を喋る盲目者の名をイタコという筈。
「そしてその説を唱えた父は自分の説を証明する為に、青森、岩手にまたがる多くのイタコ達に月讀命に関する説話が伝わっていないか訊ね歩いた。
 そんな時、何人かのイタコ達からこんな話を訊いたのだそうだ。多くのイタコ達は皆派閥みたいなのを形成し何かしらの集団に入っているものだが、その中に何の集団にも組していない月讀宮つくよみのみやと呼ばれるイタコがいると。
 そして父は月讀宮を捜し歩き、水沢という地で月讀宮の名を関するイタコと出会うことが叶った。それがあゆ君の母親だったのだ」
 その母親は名を神夜かぐやと言い、女史の父が会った時点では視力を回復していてイタコからは足を洗っていたという。また、父親の記録はそこで終わっていて、会ってどんな話を聞いたかは一切記されていないという。それで女史は今日あゆ嬢に会った時、そのことに関し何か知っていないかと問い質したが、あゆ嬢も詳しくは知らないとのことだった。
 しかしその話を聞き、私には思う所があった。太陽は生と永遠を示すもの、ひょっとして以前真琴嬢が言った法術は生の衝動を与えるものという意味に繋がるものなのではないかと。
 ならば祐一の法術を使いこなせる血筋というのは、もしかしたなら皇族を指しているのではないだろうか? ふと私の頭の中にそんな考えがよぎった。
 しかし、自分が皇族の血を引き継いでいるなど冗談の域を出るものではなく、第一皇族が力を使うなど聞いたことがない。随分と下らない仮説を立てたものだと自嘲しながら、私は眠りに就こうとした。
 ガチャ、スゥ……
「ん? 誰だ……?」
 眠りに就こうとすると、突然部屋のドアが開いた。その姿を見ると佳乃嬢であった。しかし、夜中の一時を過ぎている時間に一体何の用なのだろう。
 ピィィ……ピィィ……ピィィィィィ……
「!!」
 すると次の瞬間、あの超音波が聞えて来た。そう、想いの塊が発するアノ、、……
 ヒュウッ!
「クッ……」
 目の前に起こっていることの整理が付かず、私は呆然とするしかなかった。そしてそれは結果的に隙を作ることとなり、私は想いの塊が発する刃物のようなものに足を斬られ、蒲団から這い上がる力を封じられてしまった。
『ウラミ……ハラス……』
(何だこの声は……?)
 頭の中に直接響いてくる声、この声は想いの塊が発しているものなのだろうか……? そして目の前にいる佳乃嬢は、”ウラミ”とは……!?


…第拾話完

※後書き

 何だか前回早く仕上げると言っておきながら、三週間近く掛かってしまいましたね…(苦笑)。
 それはさておき、今回は物語の主軸を語る上でも重要な回に当たると思います。いきなり神話の話などが出て来ましたが、その話の中にこの作品が何故「みちのく」の名を冠しているのかに結び付くキッカケになるものがあったと思います。原作の『AIR』は舞台が関西であるのに対し、「たいき行」の舞台が何故「みちのく」が舞台なのか?今回はその意味が多少は見えて来たかと思います。
…とまあ何だかエラそうな事言っていますが、「Kanon傳」書いていた時は、単に自分の地元を舞台にしたKanonの物語だから『みちのくKanon傳』というタイトルになっただけで深い意味はありませんでした。ただ、「Kanon傳」の時は原作も雪国が舞台だから良かったものの、「たいき行」の場合どうみても雪国という感じではないですから(苦笑)、同じ舞台で物語を展開させるにはそれなりの理由があった方がいいなぁと思いまして、後付けで色々と意味を付けた次第です(爆)。
 ちなみに聖さんの父親が唱えたと言われる「和國分割統治説」は、MMR並にハッタリを効かせた説ですので鵜呑みにしないように(笑)。
※平成17年2月9日、改訂

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